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神の奥義の管理者

説教要旨(5月29日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙一 4:1-5
牧師 藤盛勇紀

 パウロは改めて伝道者の使命を語りながら、キリスト者の生き方を示そうとします。自分たちを「キリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべき」だと言います。「秘められた計画(奥義)」は、神の霊を受けた者だけが恵みと受け取れる、イエスの十字架の出来事です。この福音を宣べ伝える「管理者」に求められるのは、忠実であることです。「管理者(オイコノモス)」は「家を取り仕切る者」という言葉で、その務めオイコノミアは、神の計画・摂理も意味します。主人の意志に基づいて支配を任された管理者は、主人の思いを具体化させる表現者でもあります。
 忠実であるかどうかは、どこで分かるのでしょうか。パウロはこう言います。「わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません」。唐突な感じがしますが、他人のだろうが自分のだろうが、人間の態度や行いや内省の問題ではない、ということです。「自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです」。自分の内にどれほど正しさがあったとしても、それで自分が「義とされている(救われている)わけではない」。私を裁くのは他人ではないし自分でもない、私の主なのだというのです。
 「自分には何もやましいところはない」と言い切れるのは羨ましい限りですが、自分の正しさで救われるわけではないし、生きて行けるわけでもありません。単なる正しさ正義は、「騒がしいどら、やかましいシンバル」(13:1)。ただうるさいだけでなく、交わりを破壊するものです。
 パウロにとって(私たちキリスト者にとって)重要なことは、神との関係において義とされることです。人からどれほど良い評価を得たとしても、正しさを自負しても、それは全く救いにはならず、真の命でもありません。私たち自身が赦され、罪の縄目から解かれて自由にされ、恵みの内に生きるには、自分の正しさは何ら力を持たない。罪を赦して命を与えるのは神。「わたしを裁くのは主」です。
 神の裁きについて、パウロはこう言いました。「あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか」(ローマ2:3-4)。神の慈しみは、あなたが考えるよりも遙かに豊かで、神の愛はあなたが感じるよりも遙かに深い。神の寛容はあなたが思うよりも遙かに広く、神の忍耐はあなたが思うよりも遙かに強く、したたかなのです。その神の憐れみが、あなたを立ち帰らせるのだと言うのです。
 あの放蕩息子の父のように。あの息子は、思い上がって、いい気になって、身勝手に父の財産を使い果たし、惨めに身を持ち崩しました。自分の惨めさを知って、ようやく我に返り、父の家に帰ります。「どの面下げて帰れようか」。この惨めな息子の姿を見つけた父は、息子が何も言わず、まだ何も聞かないうちに抱きしめました。「その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるの」か。
 「ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません」と、裁くことについて考え直すよう迫っています。「何も裁いてはいけません」とは、一切判断や評価をするなということではありません。「主が来られる」のだから「先走って」裁くなと言うのです。やがて来られる主を待つことです。人間による決着や決めつけではなく、主の裁きを待って、信頼して委ねて生きることです。そして委ねられたことに忠実に、この地上で主の慈しみ深い御心を現すように生きることです。私たち自身が「豊かな慈愛と寛容と忍耐とを」味わって生きて、主が来られる時には、「おのおのは神からおほめに」あずかるのです。

説教一覧(2022年度)

2022.4.3
霊の人か、肉の人か
2022.4.10
主がお入り用なのです
2022.4.17
さあ行って、伝えなさい
2022.4.24
命の主なる神
2022.5.1
キリストという土台
2022.5.8
出来損ないのその先に
2022.5.15
あなた方は神の神殿
2022.5.22
私たちのもの、神のもの
2022.5.29
神の奥義の管理者
2022.6.5
霊の風に吹かれる
2022.6.12
言は神であった
2022.6.19
世のくずとされても
2022.6.26
信仰は言葉ではなく力
2022.7.3
悪意の種を取り除け
2022.7.10
災いの中でも働く方
2022.7.17
キリストの体を現す交わり
2022.7.24
天使たちをも裁く
2022.7.31
神の栄光を現せ
2022.8.7
自分の体は誰のものか
2022.8.14
神に遣わされた人
2022.8.21
平和な生活を送るために
2022.8.28
神に召された者として
2022.9.4
世の有り様は過ぎ去る
2022.9.11
神の霊を受けて生きる
2022.9.18
知ることは愛すること
2022.9.25
はじまりは全て主
2022.10.2
自由を用いる自由
2022.10.9
この世の権威の猛威
2022.10.16
福音を語る者の自由
2022.10.23
福音を告げずにいられない
2022.10.30
共に福音に与るために
2022.11.6
朽ちない冠を得るために
2022.11.13
恵みの上に恵みを受けて
2022.11.20
自立したと思うな
2022.11.27
祝福と賛美の交感
2022.12.4
神の栄光のため
2022.12.11
荒れ地にも恵みはある
2022.12.18
自分で判断しなさい
2022.12.25
あなたを導く星
2023.1.1
主の食卓に集まろう
2023.1.8
新しい契約
2023.1.15
自分をわきまえる
2023.1.22
霊の賜物
2023.1.29
あなたは、誰ですか
2023.2.5
私たちはキリストの体
2023.2.12
しるしは示された
2023.2.19
人それぞれの賜物
2023.2.26
神から注がれる愛の実
2023.3.5
信仰、希望、愛
2023.3.12
私はこの方を知らなかった
2023.3.19
勧め、慰める預言
2023.3.26
神の言葉が分かる