ホーム | 説教 | 説教(2021年度) | 神の守りのしるし

神の守りのしるし

説教要旨(10月10日 夕礼拝より)
ヨハネの黙示録 6:12-7:8
牧師 藤盛勇紀

 いかにも黙示録らしい表現で戸惑いそうですが、4章から引き続きヨハネが見た天のヴィジョンです。「封印」は神の右の手にあった巻物の封で、7つの封印で封じられていました。それを解いて巻物を開くことができるのはただ一人、「屠られたような小羊」(5:6)。神の小羊キリストが、神の右手から巻物を受け取った時、天上に賛美の声が響き渡ります。6章で封印が一つ一つ開かれて、ここで第6の封印が開かれます。
 巻物の封印が開かれるたびに見えたのは、喜ばしい光景ではなく、むしろ恐ろしいものでした。直前の第5の封印が開かれた時、ヨハネは殉教者たちの姿を見て、その叫びを聞きます。「主よ、いつまでですか!」
主を呼びながら死んで行った殉教者たち。なぜ、悪人がのさばり善人が苦しむのか!なぜですか! 明確な答えはありません。人間は世界の終わりを見ることも、神のご計画の全貌を見通すこともできず、苦難の中では、この苦しみが果てしなく続くように感じられてしまいます。
 そして今、第6の封印が開かれると、さらに恐ろしい光景を見ます。「大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、天の星は地上に落ちた。・・・天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された」。まさにこの世の終わりとしか思えない極端な天変地異。その影響は地上に及びました。地上の多くの支配者たちさえ絶望の叫びを上げるほどです。「神と小羊(=キリスト)の怒りの大いなる日が来たからである。だれがそれに耐えられるであろうか」。
 ここで誰もがいわゆる「最後の審判」の光景を思うでしょう。「ついに来たのか」。しかしヨハネは、そのイメージとは全く違う光景を見ます。7章で描かれるのは、この地上世界です。「大地の四隅」(全世界)に「四人の天使」がいます。そして「彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた」と。
 先日、東日本大震災以来の揺れが襲い、多くの人が「ついに来たか」と思いました。私たちはいつ大地震や大津波に襲われるかも知れません。この大地は決して盤石ではないと思い知らされています。「もうお終い」と思わされるような災害があり戦争や飢饉もあります。「世界終末時計」は今23時58分20秒。崖っぷちです。疫病のパンデミックの中、世界戦争の危機、激しい気候変動、天変地異と危機感は募ります。
 それでも、この世界は引っ切りなしに天災に襲われているわけではなく、人がバタバタと倒れているわけでもありません。危機や問題に晒されながら、それでも「生きて行こう」「前進しよう」と思える世界です。問題は、そこで何に信頼し、何を頼りとするのか。つまり信仰の問題なのです。
 ヨハネが見るヴィジョンは、世界は全体として神の御使いによってギリギリ支えられています。苦難や災難があっても、決してオシマイではない。問題に満ちた地上で、天使によって【神の刻印】が押されます。誰のものなのかを表す「神の」印。神が「私のもの、私の宝だ」と印づける刻印です。
 刻印を受ける者は誰か。イスラエルの部族が数え上げられますが、地上の民族ではありません。イスラエル12部族は神の民を象徴し、数が数えられているのは、神の救いの確かさです。漏れることは決してない。
 そして、これは罪を犯さなかった聖者たちなどではありません。罪に支配されていたが、「神の小羊」の血という尊い代価によって買い取られた者たちです。最高に尊い価値ある者。神の宝の民です。「ついにオシマイか」と思われるようなとき、神の印は、それを信じて恵みとしていただいた者にあります。「あなたは私のものだ」との、憐れみに満ちた主の御声を聞く者です。