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主があなたに油を注ぎ

説教要旨(11月14日 朝礼拝より)
サムエル記上 10:1-27
伝道師 杉山悠世

 メシアとキリストは同じ意味で、元来「油注がれた者」つまり、王、祭司、預言者を表す言葉でした。後に、神が遣わしてくださる救い主を指す言葉になり、油注がれた者の救いを待ち望むユダヤ人の信仰となったのです。
 3つのしるしは、神ご自身がサウルを王としてお立てになったことを示すためにあらわされたのです。「預言する状態」とは、神の霊、聖霊に満たされて、霊的な興奮状態になるということです。そのなかで、神の言葉が示され、語るのです。
9章で、主なる神は、サムエルに対して次の様にサウルを示されました。「 『あなたは彼に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの指導者とせよ。この男がわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫び声はわたしに届いたので、わたしは民を顧みる。』 」。サウルの使命は、敵からイスラエルの民を守ることでした。今までは、必要な時に主なる神によって士師が派遣されていました。それは、主なる神がイスラエルを治めておられたからです。この方がイスラエルを敵の手から守り、導いてくださっていたのです。しかし、イスラエルの民は目に見える王を欲したのです。サムエルを通して神は、人間の王に支配されるということは、王の奴隷になるということであると警告をなさいましたが、イスラエルの民はそれでも王が欲しいと言ってききませんでした。そこで主なる神は、士師の務めを常時担う者として、王を立てることをお決めになったのです。
 聖霊は諸霊でもないし、人格を持たない特別な力や超常現象でもありません。信仰によって生み出される力でもありません。聖霊を与えられているということは決して、わたしたちが自由に操作できる力を授かるということではありません。父なる神、子なる神と同様に、聖霊なる神、わたしたちの信仰の対象です。聖霊は、聖書の言語では息とか、風を意味する言葉です。聖霊の働きが自由なものであることをよく表しているのです。聖霊なる神はわたしたちをキリストに向けて新しくつくりかえてくださいます。聖霊なる神が自由自在に働かれるのであって、サウル自身が聖霊を操ったりしているのではありません。聖霊は何でもできる魔法の力ではなく、直接わたしたちに働きかけてくださる神ご自身なのです。
 主なる神は、誤った道を選び邁進して行くイスラエルの民を見捨てずどこまでも、彼らとともに歩んでくださいました。彼らと同様に、共にいてくださる神の恵みが私達にも与えられています。神はどこまでも神の目に従順で、私達に寄り添ってくださる方として御子をこの世に与えてくださいました。
 キリストは全ての人のために十字架におかかりになり、すべての人の救いを望んでおられる神の御心を証されました。神は私達をキリストと聖霊によって新しくつくりかえ、神の言葉によって主の日ごとに新しく生かしてくださいます。主なる神が私達と共にいてくださいます。私達は御言葉と聖霊と祈りによって、永遠の安息へ向かって進みます。イエス・キリストの救いと福音を宣べ伝えるために「しようと思うことは何でも」できます。時に、誤った道を選んでしまうことがあるかもしれません。しかし、主なる神はどこまでもわたしたちと共にいてくださいます。十字架の死と復活の恵みによって私達を正しい道へと立ち帰らせてくださいます。パウロはローマの信徒への手紙で、神の国は神の霊の働きであると言っています。ですから教会は、神の霊によって自由に、安心して、大胆にこの世に主の御名を、その栄光を言い表すことができるのです。