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あなたの中のキリスト

説教要旨(12月26日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙二 13:5-10
牧師 藤盛勇紀

 「信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい」とパウロは言いますが、信仰をいったいどのように反省・吟味したらよいのでしょうか? 
 信仰について反省する時、私たちは自分の意志や思いの強さとか、邪念を断ち切る純粋さとか、そうしたところで信仰の強さや深さを測ろうとしないでしょうか。しかし、自分の内心の状態によっては、信仰を測ったり吟味したりすることはできません。
 「信仰を持つ」とよく言われますが、私たちが知性や気力や能力を持つのと同じように「信仰を持つ」ことはありません。コリントの信徒たちはその点でも思い違いをしていました。人に誇れる能力を持ち「推薦状」さえ持つ人々のことが何度も言及されました。客観的な評価を受けている、それが信仰的にも真実なことであるかのように思い込んでしまっていたのです。しかし、信仰は私たち自身が持つ力ではありません。私たちの信仰は私たちのものではなく、キリストとの関係・神との関係のことです。私たちの内にあるとすれば、それは神から来るもの、キリストによるものです。
 パウロは「あなたがたは自分自身のことがわからないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが」と言います。自分自身について知るべきことは何か。それは、私の内にキリストがおられると知ることです。それが分からないのか、とパウロは言うのです。あなたは気づかないか、忘れているかもしれないが、あなたの内にキリストがおられるでしょうと。
 私たちは自分の信仰を反省しようとする時、自分で自分の内を覗きがちです。内面にあるものが強いだろうか、純粋だろうかと、愚かにも自分で評価し、決めつける。信仰を見つめる時にさえ自己中心なのです。それは自分で自分を引っ張り上げようとするようなものです。そんな反省には、信仰も救いもありません。
 しかし、この救いようのない私の内に思いがけず、私が忘れていても、キリストが来てくださっている。その事実に気づく時、私は自分自身の何かではなく、私のために、私に近く私の内におられるキリストの確かさを知るのです。パウロは1コリント3:16でこう言っています。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」。
 キリストが私たちの内におられる事実は、知性によっては認識されません。主の霊が私の魂に触れ、主が語りかけ働きかけてくださり、私の霊と一緒に私の魂を照らしてくださって、気づかされるのです。
 聖霊は、私たちに神の愛を分からせ実感させてくださいます。それが実際私の力になっていて、様々な問題の中で耐えたり、道を拓いたり、潜り抜けたりする力となり、どんな時にも力となり慰めとなる。だから希望でもあります。
 パウロはローマ書でこう言います。「希望はわたしたちを欺くことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」。そして「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった」と、キリストの恵みを語り始めるのです。
 神ご自身の霊によって、私のために死んで下さったキリスト、そして今私の主として生きておられるキリストを信じることができるようにされます。弱く愚かで不信心な私の内に主がおられことを知ったなら、私たちは俄然人生に意味があることが分かってきます。主の備えがあり、主の命が今、私を生きていてくださることが分かります。
 あなたの内にあなたの主がおられるなら、あなたは主が示し・与えてくださるところへと導かれて生きるのです。この恵みの事実に気づいて歩むことこそ、私たちの人生の課題であり、喜びでもあります。