ホーム | 説教 | 説教(2021年度) | 低き所より光を放つ

低き所より光を放つ

説教要旨(10月24日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙二 11:7-15
牧師 藤盛勇紀

 「わたしの内にあるキリストの真実(真理)にかけて言います」。この大胆で非常に重い言葉は、パウロの誇りです。そして「このようにわたしが誇るのを、アカイア地方(コリント)で妨げられることは決してありません」と宣言します。直訳的に言えば「キリストの真理が私の内にある。だから私の誇りを封じることはできない」。しかも、「なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛してないからだろうか。神がご存じ」だと大胆で強烈な言葉を畳みかけるのは、あなたがたを愛しているからだ!私が伝えたキリストの福音によって生きてほしい!とパウロは言いたいのです。偽使徒たちを厳しく批判するのも、偽物の福音が命を奪うことになるからです。
 最初に「あなたがたを高める(高められる)ため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせた」と言ったのは、具体的には、パウロがコリントで無報酬で働き(自分を低くし)福音を伝えたことを指します。この福音が、あなたがたを高めたのだと。
 キリストの福音を信じその恵みによって生きる者は、ある意味「高められた」者です。高邁な精神を持つとか、高潔な生き方といった類いの高さとは違います。他の人と比べて高い低いではなく、むしろ《角度の違い》と言った方が良いかもしれません。
 世の基準の横レベル・水平次元の「高い低い」という関係から、欲や妬みや恨みや諦めも生まれ、その中で上がったり下がったり、自分を誇ったり、自己卑下してひねくれた、りしながら人は地の上を這います。しかし、福音によって、神を知り、神がどのような方かを知り、その神との間に和解が与えられ、信頼・信仰に基づく祝福と平安が与えられました。水平次元の生活のただ中に、真っ直ぐな柱のような、垂直次元が開かれます。
 「ヤコブの梯子(階段)」は、一般的には雲の切れ目から陽の光が真っ直ぐに地に差し込む様子をいいます。創世記28章のヤコブが夢で見た階段に例えたものです。あの階段が天から地に向かっていたように、私たちの生が上から支えられ、上から意味を与えられ、命と真理を上に求めるのです。
 私たちは「主の祈り」で、主の御名があがめられますように、御国が来ますように、天の御心が地にも行われますようにと、全てに優先して求めます。かつては水平次元にしか向いていなかった目が垂直に向くようになり、横の関係でアップダウンしていた私が上から支えられるようになった。そういう意味で、キリスト者の生活は高められた生活なのです。角度が変わって新しい次元に開かれ、自分が神によってしっかり捕らえられていることを知ったのです。つまづいも転ばず、横の関係で揺さぶられても倒れてしまうことがない、確信ある生活になります。不安があって勇気を持てます。
 どうしてそうなったのか。パウロは「あなたがたが高められるために、神の福音を告げ知らせた」と言います。しかも「無報酬で」。さらに「多くの教会からかすめ取るようにしてまでも」とは衝撃的な発言です。もちろんそんな事実はなく、敵対者たちの中傷です。パウロは他の教会から支援を受け、自らも働きながら福音を伝えました。
 ここで「無報酬」を強調したのは、福音がまさに無報酬、価なし、何の代価を払うことなく、全ての罪が赦され、真の命を与えられ、神のあらゆる恵みと祝福を得させたからです。
 福音は価なしに上から、神から惜しみなく注がれています。だから上を向き、心を高く上げるのです。道端の地を這うような野の花でさえ、天に向かって咲いて人に力を与えます。私たちもたとえ低い所にあっても、その場で上からの命の光によって生きるなら、この地に光を映し出します。この祝福に満ちた、天を仰ぐ角度を持っているのがキリスト者です。それを開くのが福音、人となられた神・キリストの恵みです。