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アッバ、父よ

説教要旨(5月28日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 8:12-17
牧師  藤盛勇紀

 私たちにも与えられた聖霊は、私たちをどのような者としてくださっているのか、ローマの信徒への手紙から聞きたいと思います。「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます」。聖霊を受けると、イエス・キリストの出来事、十字架の死と復活、昇天と聖霊降臨がこの私のためだった、この方によって私も神の子にしていただいたと分かります。永遠から神の御子である方はイエスお一人ですが、イエス様は私たちをご自身と一つにしてくださって、私たちも神の子とされました。
 「私も神の子」。これ以上大きなことがあるでしょうか。このために、キリストは人となってこの世に来られ、このために十字架についてくださって、このために今も聖霊は私たちの内に来て、私たちの内に住んでいてくださいます。だから聖霊は「神の子とする霊」なのです。喜びの霊、力と平安の霊です。
 私たちが祈る時、神様と親しく交わる時、イエス様が教えてくださったように「父よ」「アッバ!」と呼びます。赤ん坊から大人まで、自分の父を呼ぶ言葉です。聖書には神を「父」と表現する所はいくつもありますが、自分の父親に呼びかけるような親しさはありません。しかしイエス様は、祈る時「アッバ」「私たちの父よ」と呼べ、と教えてくださいました。「主の祈り」の最初の言葉は「父」。イエス様や弟子たちの日常語で「アッバ」。ガラテヤ書にもこうあります。「あなた方は子なのだから、神は『アッバ、父よ』と呼ぶ御子の霊を、私たちの心に送ってくださった」(直訳)。神は私たちが「アッバ」と呼ぶのを待っておられます。私たちは神の子だから。
 私たちと神様は、「人間の親子のようなもの」ではないのです。むしろ人間の親子の方が、神と私たちとの関係のたとえなのです。《私たちが神の子である》ことこそ真実であって、人の親子はその真実を不完全に表すおぼろげな写しです。私たちは、本当は何者なのかと言えば、真実な「神の子」。これが私たちの本当のアイデンティティーです。
 「アッバ」と神を呼ぶ「神の子」。だから「神の相続人」でもあります。神が用意しておられる取って置きのものをいただくのです。もうこれ以上のことを考えることはできません。ただ、霊において神の子とされた私たちは、まだ旧い体を引きずって生きています。新しい霊の体が与えられるまでは、死ぬべき体をひっさげて世を歩み、苦しみや悩みがあります。それでも、私たちの経験は父なる神の御心を知っていく経験となります。味わいつつ学んでいるのです。「神は、あなたがたを子として取り扱っておられます」(ヘブライ12:7)。そしてトータルで見るなら、8:28にある通り、「万事が益」となります。あの事も無駄ではなかった、と知るのです。
 私たちは放蕩息子のように(ルカ15章)、「子と呼ばれる資格のない者」だと知っています。祈りの少ない者、祈れない者でもあります。祈ろうと思っても、神の子として祈れない、資格がないと思ってしまう。しかし、父なる神は、そんな放蕩息子を憐れに思い、御自分から走り寄って首を抱き、口づけしてしまうお方です。だから何も装うことなく、取り繕うことなく「アッバ」と呼べ!と主は言われるのです。
 「我らの父よ」と祈る時、私たちはイエスに肩を抱かれて「我らの」と呼びます。祈る時は、安心して「アッバ」と呼べと主が言われるのは、主ご自身が流された血潮という保証付きなのです。イエスよ、あなたがおっしゃるなら、私たちは躊躇いもなく、あなたと一緒に呼べます、「アッバ!」と。父が私たちの首を抱き、イエスが私たちの肩を抱いて、共に「アッバ、父よ」と呼んでくださいます。聖霊は、私たちをそのような真実な神の子としてくださる父と子の霊です。