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聖霊によって語り、聞く

説教要旨(6月18日 合同礼拝より)
エレミヤ書 1:4-10
牧師  藤盛勇紀

 今日は教会学校との合同礼拝なので、教案誌に従ってエレミヤ書を読みました。預言者エレミヤが生まれたのは、悪名高いマナセ王の時代。彼はエルサレム神殿の中に異教の祭壇を作り、偶像を並べ、子供を殺して偶像に献げ、まじないや占いをしました。まったくデタラメな時代でした。エレミヤはそんな様子を見ながら、何を思ったでしょうか。「主はこう言われる」などと言っても、誰も聞いてくれやしない。こんな時代、なぜ俺は祭司の家なんかに生まれたのか。聖書の神など誰も信じないし、神の言葉を語っても、「今どき馬鹿じゃないの」と言われるのがオチ。どうせ聞かれないし、信じる人なんかいない。
 酷い時代ですが、今の私たちの時代も似ていないでしょうか。クリスチャンは100人に1人もいないし、教会に行っている友達も少ない。毎日曜日に教会で礼拝をするなんて、珍しい人だと思われる。教会の近くには大きくて有名な神社がいつくもあるし、「いろんな神様がいていいじゃない」と皆思っている。教会に行こうよと誘っても、聖書?キリスト教? いやぁ、私はいいわ、と言われる。
 エレミヤがまだ10代の頃、主の言葉を聞きます。「『わたしはあなたを母の胎内に造る前から/あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に/わたしはあなたを聖別し/諸国民の預言者として立てた』」。エレミヤよ、あなたは私の言葉を、この国の人たちに、そして、他の国の人にも語るのだ。
 しかしエレミヤは言います。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」。神様、私はまだ若いんです! 仕事も一人前にできません! まだ勉強しなければいけないことが沢山あります! 知識も経験もないんです!私なんか、まだ子供なんですよ、神様!
 しかし、主は言われました。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」。
 エレミヤは、消極的で引っ込み思案でもあったようです。「神様の話をしても、誰も聞いてくれない。きっと、バカにされる」「俺なんかが話をしたら、何て思われるだろうか」。人の顔が気になるし、人から何を言われるか、恐い。エレミヤはビクビクしています。しかし主は言われます。「彼らを恐れるな!」。
 私たちも、神様が私に何かをさせようとしておられるのではないかと感じることがあっても、「私は若いし」「私はこうだし」「私の周りはこんなだし」「私は、私なんか…」と思ってしまいます。しかし神様は、「あなたがどうではない! あなたの事情なんか、私の方がよく分かっている! あなたが恐がっているのも知ってるよ! でも、私があなたにさせるのだ!だからもう「私は若い」とか「まだ知識が、経験が」とか言うな。グズグズ言うな! そんなあなたを、この私が行かせるのだ。この私が共に行くんだよ!
 主は手を伸ばして、エレミヤの口に触れて言われました。「見よ、わたしはあなたの口に、わたしの言葉を授ける」。
 私たちの周りの人たちは、神の言葉など聞かないかもしれない。教会にも来ないかもしれない。でも私たちは今日も、こうして神様を礼拝し、神の言葉を聞いています。100人に1人かもしれないけれど、信じる人たちが今日もいる。そのために神は、御言葉を伝える人を起こしてくださっています。。そして、それはあなたなのです。
 信じたのは、聞いたから。聞いたのは宣べ伝える人がいたから。宣べ伝える人がいたのは、遣わしてくださる主がおられるからです。神の言葉を聞いたなら、「私はまだ…」とか「もう歳だから」と言わなくていい。主が生きていて、霊を私たちに注いでくださっているので、自分がどうでも、この時代がどうであろうと、主が「行け」「生きよ」「私があなたと共にいる」と言われるから、私たちは生き、生かされ、用いられて行くのです。