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悪魔に対抗する道

説教要旨(10月15日 朝礼拝より)
マタイによる福音書 4:1-11
牧師 藤盛勇紀

 いきなり悪魔(サタン)が出てくるので、現実離れした話だと思われるかもしれません。しかし、ここには現実的な話しかありません。悪魔がイエス様を誘惑するので、悪魔が主導権を握っているかのようにも思われます。イエス様は断食によって心身共に極限状態。悪魔の方は余裕がある。しかし違います。実は悪魔が焦っています。悪魔は、イエスが誰かを知っています。ついにメシアの活動を始めた。悪魔にとっても決定的な時です。それで、何とかメシアの働きを阻止したいのです。
 ここで注目しておきたいことは、イエス様は「人」として振る舞っておられることです。悪魔は「あなたが神の子なら」と誘います。あなたは神の子でしょう。だったら石をパンに変えることくらいなんでもない。どれほど多くの人を救うことがでますか。素晴らしい働きじゃないですか。飢えて死ぬ人がどれほどいるかご存じでしょう。あなたはそんな人たちを生かすことがおでききなる。その力を発揮されたらいかがですか。
 イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」。イエス様が神の言葉をもって悪魔の誘いを拒否されたので、次に悪魔も神の言葉を用います。あなたは神の子なのだから、天使たちを自由に用いることができるでしょう。聖書がそう語っています。ここから飛び降りてごらんなさい。神の子としてのあなたの素晴らしい力と栄光を見せることがおできになりますよ。
 イエスは答えられます。「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」。
 最後に悪魔は、この世のすべての国々とその繁栄を見せながら、ついに正面から要求します。「この世の全ての力と栄えとを、あなたにあげよう。私を拝むならばだ」。悪魔は勝負に出ています。イエス様も正面から退けます。「退け、サタン」「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」。
 ここで悪魔は離れ去りますが、戦いが終わったわけではありません。悪魔は一旦退いて、時を伺うのです。最後のチャンスは、イエスがメシアとしてその使命を果たす時。それは十字架で死ぬ時。それによって人間の罪の赦しと贖いが成し遂げられてしまう。悪魔はそれを知っています。だから最後の最後、イエスが十字架にかけられている時にさえ、悪魔は全力でイエスを誘惑するのです。もちろん、イエス様の働きを阻止しようとするサタンの企ては失敗し、イエス様はメシアとしての働きを貫徹されました。
 では、悪魔は今は何をしてるのでしょうか。 神が愛しておられる私たち一人一人を、自分と道連れにしようとしています。神はその独り子さえ惜しまずに死に渡してしまわれた。それほどまでに神に愛された私たちが、悪魔は恨めしくて仕方ない。だから神から引き離して道連れにすれば、神に対して一矢報いてやれる。そんな悪魔の最後の悪あがきです。
 私たちには、悪魔の働きに勝つ力はありません。しかし、イエス様が悪魔と対決された時、神の子として振る舞わず、神の力を現されませんでした。「神の子でしょう」と誘惑したのは悪魔。しかしイエスは、「人の子」として振る舞って、人の悪魔との戦い方を示してくださったのです。その戦い方、それは神の言葉への信頼です。神は生きておられ、この方から発せられた言葉も生きています。神が生きて働かれるのです。独り子をさえ惜しまずにお与えくださったほどです。だからパウロは言いました。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ8:32)。イエス様が身を以て示されたのは、まさにこの真実です。
 神の言葉に信頼しないなら、「まずはパン。まずは最低限の収入。まずは健康、まずは、まずは…」で一生終わり。信頼するならば、必要なものは全て添えて与えられます。「天使たちが来てイエスに仕えた」。人の子イエス様を、主の御使いたちが支えました。