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一人の一人による新しい命

説教要旨(6月4日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙一 15:20-28
牧師  藤盛勇紀

 「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」。これは、パウロの内なる喜びがほとばしり出たような言葉ではないでしょうか。直前で語ったことを受けて言うのですが、死者の復活という超自然的な奇跡があり得るかどうかという話ではなく、キリストの復活は何のためだったかということです。
 イエスは十字架で血を流され、私たちの罪の一切が赦さました。しかし、罪を赦していただいて、それでどうなったのか。19節でパウロはこう言いました。「この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です」。キリストの死によって、あなたの生はどんなものになったのか。それが分からないなら、「赦された」と言っても本当かどうかさえ分からないではないか。「あなたの信仰はむなしく、あなた方は今もなお罪の中にある」ことになるのではないか。 
 「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」。単に奇跡的な出来事の話ではなく、私たちの罪のために死んだ方が、私たちのために復活なさった。それは、私たちも復活させられ、新しい命に生かされるためだというのです。「あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(ローマ6:3-4)。
 私たちはキリストと共に十字架につけられて、罪に対してはすでに死にました。「死んだ者は、罪から解放されています」。それは、「私たちも、新しい命に生きるためなのです」。
 パウロはアダムのことを持ち出します。「死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです」。最初の人アダムは、神との命の霊のつながりを切ってしまった。この「罪」によって、人は死ぬ者となりました。全ての人間はこのアダムの下に生まれ、「罪」を孕んでいます。私たちは罪のキャリアです。そして必ず死にます。パウロはそれを「罪と死の法則」と言いました。
 「しかし、実際(今や)」、「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」。キリストが私たちのために死んでくださった、というだけでは、何も決まっていません。しかし、復活のキリストは、信じる者に勝利のシナリオを見せてくださっています。
 アダムにつながる者である限り、人には真の望みはありません。しかし、復活のキリストに結ばれた者は、もはやアダムの末ではなありません。47節で、アダムは「最初の人」「地に属する者」と言われます。しかしキリストは「最後のアダム」となって終わらせられました。そしてキリストは「第二の人」となり「天に属する者」と呼ばれます。
 私たちは、一人の人アダムの末として「罪と死の法則」の内に死ぬ者でした。しかし、一人のキリストに結ばれて死んで、生きて、「第二の人」とされ、「罪と死の法則」から「命の霊の法則」に移されたのです。
 パウロは順序を辿るような仕方でシナリオを語っているように見えます。言われていることはキリストの勝利、神の勝利です。私たちの人生は、最後まで勝負が分からない試合のようではありません。死ぬはずの者が、キリストと共に神の栄光に与るのです。この神のご計画の内に生かされています。最後のホイッスルが鳴る時の栄光と歓喜を、すでに知らされています。劇的な勝利の感動よりも、キリストにある勝利の喜びははるかに大きいのです。それを思って、今歓喜の叫びを上げ、声の限り主をほめたたえましょう。