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大胆に神に近づく

説教要旨(7月1日 朝礼拝より)
エフェソの信徒への手紙 3:10-13
牧師 藤盛勇紀

 元はスイスの諺ですが、「人間の混乱と神の摂理」という言葉があります。歴史をとらえるには、人間は余りにも無知で短命です。しかし、主なる神に信頼する者は歴史を超えた天上の認識と視点をもってこの地上の出来事をとらえることができます。
 「いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになった」とあります。神の知恵、深い御計画が、この地に様々な形や仕方で現されるのです。私たちはすでに天のあらゆる霊的な祝福で満たされていることを(1:3)、繰り返し語ってきました。神はその恵みを私たちの上にあふれさせ(1:8)、歴史の中に現れ出るのです。しかも、それぞれの時代、次々巡り来る時代に(2:7の「来たるべき世」の本来の意味)です。
 「天上の権威」とは霊的な存在や力のことですが、神の知恵はそれらにも知らされます。しかもそれは、私たち教会よってなのだというのです。
 私たちはキリストと共に「天の王座」に着かせていただきました(2:6)。したがって、天の霊的な諸力・諸霊は、私たちに対し何の権威も有していません。ただ、それらは私たちの心や思いに接触し影響を与えます。その時、私たちの「思い」が、彼らの語りかけや働きかけに反応し同意してしまうと、私たちはそうした諸力や権威に服すことになります。だから、私たちの「思い」が、霊的な戦いの場なのです。私たちは毎日様々な言葉や情報、人の思いやスピリッツすなわち諸霊に触れ、魂に手を突っ込まれています。私たちはそこで、誰のどの言葉に思いを向けるかが問題です。
 しかし、「神の知恵」がなぜ私たち教会を通して、天の支配や権威に知らさせるのでしょうか? 神の知恵は、私たちのために働くからです。直前の8,9節を見ると、神の知恵は「キリストの計り知れない富」であり、「福音」であり、「秘められた計画」の「実現」だと言えます。私たちは神の特別な愛顧を受ける神の子、「神のお気に入り」です。だから神の知恵は私たちを通して現され、知らされるのです。私たちを神から引き離そうとする諸力に対して、「私たちを見よ」「私たちに現された、神の計り知れない祝福と恵みを見よ」「慈しみ深い御計画を見よ」と言えるのです。
 もちろん、私たちを通して現されるものは断片的で小さなもの、出来損ないに見えるかもしれない。しかしそれでも現されるのです。完全な現れは終わりの時。しかし、私たちはこの地上に、この歴史に、自分の人生に、神の国の祝福を現すのです。私たちは神の国のモデルルーム、あるいはモックアップです。小さい写しに過ぎないけれども、神の恵みのご支配が素晴らしいことを示すものです。限られたスペースだけれども、工夫して、ささやかだけれども神の恵みを現す。それは楽しいことでしょう。
 「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます」。パウロは、自分がこのような神の深く壮大な御計画を知らせる働きに仕えているのだから、今は獄に囚われているけれども、だからと言って「落胆するな」と言うのです。苦難にあっても神は必ず恵みを現してくださるのだから、むしろこのことは「あなたがたの栄光」なのだと。パウロは信仰によって天のあらゆる霊的な祝福を見ています。苦難の中でもより親しく神と交わって、一層深く祝福を味わっているのです。だから何を落胆しているんだ、むしろ誇らしく思え、あなた方の栄光なのだ、というのです。
 私たちはまず日曜日、週の始めの日に、「終わり」を見ます。そして週日に嵐が吹き荒れても、その中に神の国の完成への道があり、約束があり、恵みが現されるのを見るのです。
 

誇る者は主を誇れ

説教要旨(10月3日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙二 10:12-18
牧師 藤盛勇紀

 パウロの伝道によって礎が築かれたコリント教会の様々な問題の背後には、偽教師たちの存在がありました。そうした教師たちについてパウロはこう言います。「わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです」。それに対して「わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇る」と言います。
 ここでまた「誇り」のことが取り上げられますが、「限度を超えては誇らず」「他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません」と、繰り返し「限度を超えない」と言います。「限度を超えては誇らない」とは、どういうことでしょうか?人の目や評価を気にして限度を弁えるということなのか。誇るにしても人の気分を害さない程度にしておくということなのか。そうではありません。人からどう思われ、どう評価されるかで限度を測るわけではありません。ではどんな限度なのか?
 パウロはここで「限度」「範囲内」「あなた方を越えた所」「他の人の領域(尺度)」といった言葉を繰り返します。《限度を弁える》ことが重要なテーマになっています。「誇る」こととの関係で、どんな限度や尺度があるのでしょうか。もし、ひと言で言うとすれば、《いつでも自分を主との関係で見ている》ことだと言ってよいでしょう。
 パウロは敵対者たちのことを「自己推薦」する人々だと言います。私にはこういう能力があり、こういう知識や経験がある。それについては他者からの評価もある。実際「推薦状」も持っている。だから私にはこういう可能性がある。そのように、自分の「売り」はこれだ、というものを持っていて、第三者からの客観的な高評価も付けられている人です。そうしたものを持っていること自体悪いことではありませんが、それを「売り」に生きるならば、常に他者からの評価を必要とします。自分を売り、人に買ってもらわないと先に進めない、生きられないのです。
 それに対してパウロは、人からの評価で自分の価値を確かめるような生き方をキリストの下で完全に捨てました。それまでは有利だと思っていたものの全ては、「糞土」だと分かり、「塵芥と見なす」と言いました。だから「評価し合い、比較し合う」というのは「愚かなこと」だというのです。
 自分が何者でありどんな価値があるのか、そしてどんな可能性があるのか、実際自分は何をなしてきたのか。そこには、人と比べながらの評価など一切入り込む余地はないのです。なぜならパウロは、キリストに捕らえられてから、自分の一切が神に買い取られて主のものとされていることを知ったからです。《主のものである私》こそが真実な私。《他人の目に写る私》とか《他者の評価の中にある私》は、実は私ではない。
 以前にも「推薦状」のことが取り上げられていましたが、そこでパウロは「あなた方が私の推薦状」だと言いました。パウロの働きや実績は、人からの評価など無くても、あなた方の存在が証ししている、あなた方がキリストに捕らえられ、神の命を与えられ、恵みによって生きる者とされたではないか。私の主が私を用いて働いてくださっていることの証しだと。だから、「誇る者は主を誇れ」と言うのです。
 あなたの造り主にして命の付与者であられる《あなたの主》を誇りとして生きるのでなければ、いつか失われる自分の何かを誇るか、人の評価や推薦状や成績表を誇って、それを売りに生きるしかありません。それは愚かなこと、空しいことではないか。私たちを贖い取って、生かし用いておられる主を見よ、このお方を誇ることこそ真に誇りを持って生きることだと言うのです。

説教一覧(2018年度)

2018.4.1
死の涙の終わり
2018.4.8
見ゆる希望は希望にあらず
2018.4.15
キリストが充ち満ちる
2018.4.22
天に座す我ら
2018.4.29
神の恵みは現れる
2018.5.6
遺残は遠く、今は近い
2018.5.13
神を神として賛美する
2018.5.20
新しい人間の創造
2018.5.27
我らは神の住まい
2018.6.3
知らされた計画
2018.6.10
計り知れない富
2018.6.17
罪人を招くイエス
2018.6.24
とれない弾丸
2018.7.1
大胆に神に近づく
2018.7.8
御言葉を行う
2018.7.15
主の愛を味わう
2018.7.22
主は一人
2018.7.29
一人ひとりへの賜物
2018.8.5
成熟した人とされる
2018.8.12
新しい人を着る
2018.8.19
恵みが響き合う
2018.8.26
勝ち戦
2018.9.2
神の愛に留まる
2018.9.9
尊い神の秩序
2018.9.16
あなたは光の子
2018.9.23
霊による賛歌
2018.9.30
キリストが愛された教会
2018.10.7
結婚のミステリー
2018.10.14
裏切り者をも
2018.10.21
神の親心
2018.10.28
地上に敵無し
2018.11.4
神の国を前方に見て
2018.11.11
ここから見れば
2018.11.18
私たちの主、イエス
2018.11.25
あなた方の間に主の平和
2018.12.2
神の武具をまとう
2018.12.9
絶えず祈れ
2018.12.16
獄中の光
2018.12.23
見よ、救いのしるしを
2018.12.30
主である私が語り、行う
2019.1.6
朽ちない愛の恵み
2019.1.13
ひとつの福音
2019.1.20
我、ここに立つ
2019.1.27
あなた方もここにいる
2019.2.3
はるかな距離を超えて
2019.2.10
体に必要なもの
2019.2.17
福音は神の力
2019.2.24
福音を恥じず
2019.3.3
人間の不義と神の愛
2019.3.10
自由という転落
2019.3.17
終わりから今を見る
2019.3.24
お別れの挨拶
2019.3.31
波打つ大地に立つ