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はるかな距離を超えて

説教要旨(2月3日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 1:8-15
牧師 藤盛勇紀

 パウロは手紙の本文の書き出しをこうしました。「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです」。パウロはまだローマに行っていませんが、かの地にも教会がある。そのことだけでもローマへの思いはふくらんだでしょう。ここでパウロは「わたしの神」と言います。遠くローマのあなたがたにも、神はキリストを通して同じ救いを与え、同じ恵みを与えてくださっている。この神だけが、かつて教会の迫害者だった自分とローマの信徒たちとの間の溝を埋め、本当の交わりを与えてくださる。この方がいま私に働いてくださり、私を用いてくださっている。だから「わたしの神」と呼ぶのです。「わたしの神」が、ローマの人々の神でいてくださる。だからパウロは、はるかな距離に挑むのです。
 それはパウロ自身の力で何とかなることではありません。だからパウロは祈ります。「わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています」。
 このパウロの願いは、単なるローマ行きの願望というより激しい衝動です。「何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられています」(13)とも言っていますし、この手紙の最後の方でも、ローマ行きを「切望している」と言い、文字通りの地の果てイスパニア(スペイン)まで行くと語っています。
 イスパニアへの願いはかなわなかったと思われますが、パウロは常に遠くを目指し、渇望していました。それは、「あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです」と言うように、何かがまだ足りないから渇望しているのではなく、「分け与え」たいのです。パウロは神によって祝福され、恵みが溢れ出ています。様々な艱難に次々と遭遇し、何かを得るより奪われ、与える人生でしたが、豊かに溢れているのです。
 何によってこれほどまでに満たされているのでしょうか。それはただ《自分がイエス・キリストのものとされている》という一事です。主イエスは生きておられ、今日も私を召し出してくださり、そしてはるかかなたのローマの信徒たちをも生かしてくださっている。この事実は身をもって確かめられるものです。パウロがローマへ行き、共にキリストにある信仰によって生きる時に分かるのです。「私の神」は「あなたがたの神」。パウロとローマの人たちの間の遠く深い溝は、共にキリストに結ばれて一人の神に生かされているという信仰が、豊かに乗り越えさせてくださる。それは確かめられ、分かるのです。だから、「あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」と言うのです。
 神と人との溝、この最も深く遠い隔たりへとの御子イエスは降ってくださいました。人の思いの及ばないはるかな高さから、人間の最も惨めで暗い所に、降られました。乗り越え不可能な永遠の距離を、乗り越えて神は来てくださった。この神が「ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも」おられるから、パウロも遠くをめざします。
 このチャレンジは人間の力では実現し得ません。人間の企てる政治ではなし遂げられません。何を企てればよいのか。パウロ言います。「わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです」。これが、今日の私たちも望むべき働きであり、世に対して企て果たすべき責任です。ここに、人間の本当の近さと、真の命の交わりがあるからです。

誇る者は主を誇れ

説教要旨(10月3日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙二 10:12-18
牧師 藤盛勇紀

 パウロの伝道によって礎が築かれたコリント教会の様々な問題の背後には、偽教師たちの存在がありました。そうした教師たちについてパウロはこう言います。「わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです」。それに対して「わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇る」と言います。
 ここでまた「誇り」のことが取り上げられますが、「限度を超えては誇らず」「他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません」と、繰り返し「限度を超えない」と言います。「限度を超えては誇らない」とは、どういうことでしょうか?人の目や評価を気にして限度を弁えるということなのか。誇るにしても人の気分を害さない程度にしておくということなのか。そうではありません。人からどう思われ、どう評価されるかで限度を測るわけではありません。ではどんな限度なのか?
 パウロはここで「限度」「範囲内」「あなた方を越えた所」「他の人の領域(尺度)」といった言葉を繰り返します。《限度を弁える》ことが重要なテーマになっています。「誇る」こととの関係で、どんな限度や尺度があるのでしょうか。もし、ひと言で言うとすれば、《いつでも自分を主との関係で見ている》ことだと言ってよいでしょう。
 パウロは敵対者たちのことを「自己推薦」する人々だと言います。私にはこういう能力があり、こういう知識や経験がある。それについては他者からの評価もある。実際「推薦状」も持っている。だから私にはこういう可能性がある。そのように、自分の「売り」はこれだ、というものを持っていて、第三者からの客観的な高評価も付けられている人です。そうしたものを持っていること自体悪いことではありませんが、それを「売り」に生きるならば、常に他者からの評価を必要とします。自分を売り、人に買ってもらわないと先に進めない、生きられないのです。
 それに対してパウロは、人からの評価で自分の価値を確かめるような生き方をキリストの下で完全に捨てました。それまでは有利だと思っていたものの全ては、「糞土」だと分かり、「塵芥と見なす」と言いました。だから「評価し合い、比較し合う」というのは「愚かなこと」だというのです。
 自分が何者でありどんな価値があるのか、そしてどんな可能性があるのか、実際自分は何をなしてきたのか。そこには、人と比べながらの評価など一切入り込む余地はないのです。なぜならパウロは、キリストに捕らえられてから、自分の一切が神に買い取られて主のものとされていることを知ったからです。《主のものである私》こそが真実な私。《他人の目に写る私》とか《他者の評価の中にある私》は、実は私ではない。
 以前にも「推薦状」のことが取り上げられていましたが、そこでパウロは「あなた方が私の推薦状」だと言いました。パウロの働きや実績は、人からの評価など無くても、あなた方の存在が証ししている、あなた方がキリストに捕らえられ、神の命を与えられ、恵みによって生きる者とされたではないか。私の主が私を用いて働いてくださっていることの証しだと。だから、「誇る者は主を誇れ」と言うのです。
 あなたの造り主にして命の付与者であられる《あなたの主》を誇りとして生きるのでなければ、いつか失われる自分の何かを誇るか、人の評価や推薦状や成績表を誇って、それを売りに生きるしかありません。それは愚かなこと、空しいことではないか。私たちを贖い取って、生かし用いておられる主を見よ、このお方を誇ることこそ真に誇りを持って生きることだと言うのです。

説教一覧(2018年度)

2018.4.1
死の涙の終わり
2018.4.8
見ゆる希望は希望にあらず
2018.4.15
キリストが充ち満ちる
2018.4.22
天に座す我ら
2018.4.29
神の恵みは現れる
2018.5.6
遺残は遠く、今は近い
2018.5.13
神を神として賛美する
2018.5.20
新しい人間の創造
2018.5.27
我らは神の住まい
2018.6.3
知らされた計画
2018.6.10
計り知れない富
2018.6.17
罪人を招くイエス
2018.6.24
とれない弾丸
2018.7.1
大胆に神に近づく
2018.7.8
御言葉を行う
2018.7.15
主の愛を味わう
2018.7.22
主は一人
2018.7.29
一人ひとりへの賜物
2018.8.5
成熟した人とされる
2018.8.12
新しい人を着る
2018.8.19
恵みが響き合う
2018.8.26
勝ち戦
2018.9.2
神の愛に留まる
2018.9.9
尊い神の秩序
2018.9.16
あなたは光の子
2018.9.23
霊による賛歌
2018.9.30
キリストが愛された教会
2018.10.7
結婚のミステリー
2018.10.14
裏切り者をも
2018.10.21
神の親心
2018.10.28
地上に敵無し
2018.11.4
神の国を前方に見て
2018.11.11
ここから見れば
2018.11.18
私たちの主、イエス
2018.11.25
あなた方の間に主の平和
2018.12.2
神の武具をまとう
2018.12.9
絶えず祈れ
2018.12.16
獄中の光
2018.12.23
見よ、救いのしるしを
2018.12.30
主である私が語り、行う
2019.1.6
朽ちない愛の恵み
2019.1.13
ひとつの福音
2019.1.20
我、ここに立つ
2019.1.27
あなた方もここにいる
2019.2.3
はるかな距離を超えて
2019.2.10
体に必要なもの
2019.2.17
福音は神の力
2019.2.24
福音を恥じず
2019.3.3
人間の不義と神の愛
2019.3.10
自由という転落
2019.3.17
終わりから今を見る
2019.3.24
お別れの挨拶
2019.3.31
波打つ大地に立つ