ホーム | 説教 | 説教(2018年度) | 朽ちない愛の恵み

今週の説教

朽ちない愛の恵み

説教要旨(1月6日 朝礼拝より)
エフェソの信徒への手紙 6:23-24
牧師 藤盛勇紀

 このエフェソの信徒への手紙は祝福の言葉で締めくくられます。パウロはまず、「平和(平安)があるように」と言いますが、ここでパウロが言う平和は、苦しみがないとか、困難がない、戦いがない、抑圧がないといったことではありません。
 ローマ書5:1~3を思い起こします。「わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」。
 よくも生きていると思われる苦難をパウロは経験していますが、苦難を「誇りとする(喜んでいる)」と言います。やせ我慢でも、強がりでもありません。あるいは、「艱難、汝を玉にす」ということでもありません。苦難を味わい、恥を受ければ受けるほど、そこで経験したことは、自分が磨かれていくというわけでなく、これでもかと自分の弱さを思い知らされたのです。しかし、どんな状況の中でも全く変わらずに、自分を上から支えて下さっているお方を、経験していったのです。
 自分は本当に小さな者。運命に翻弄され人には嘲られる。しかも自分はなんと惨めな罪人かということを思い知らされていく。自分の力で人生を切り拓いているつもりで神に背を向けている、そんな自分のために、イエス様は死んでくださった。
 《私は、このお方によって、神の前に義とされ、神との間に平和、平安を得ている。何ということだろう。この私は神に赦されている。神と和らいでいる。愛されている。どんなことがあっても私は神の恵みのご支配の中から退けられない!》
 彼の人生で、苦難は止むことはなかった、失望させられることもあった、しかし「希望はわたしたちを欺くことがない(失望に終わらない)」。なぜなら「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」。
 パウロは運命に翻弄され、揉まれても、聖霊によって神の愛に包まれていました。「喜んでいる」とは、単に何か良い事が起こった(happen)時の"happiness"とは違います。パウロが喜んでいるのは、朽ちることなく、変わることのない愛と恵みが注がれている「祝福」の事実ゆえです。常に祝福をもって自分を包んでくださるお方を、喜んでいるのです。だから「苦難をも誇りとします」と言うのです。勝ち誇るような喜びです。「誇る者は、主を誇れ!」。
 「平和、平安」は、このお方との関係なのです。父なる神と主イエスから来る。信仰によって知る主の愛、その朽ちることのない愛が、常に私たちを包んでいる。それが祝福です。
 詩編の言葉は「幸いだ」で始まります。詩編には様々な歌があり、祈りがあり、賛美があり、苦しみの訴えがあり、叫びがあります。山あり谷ありの人生そのものです。しかし、「幸いだ」という主の祝福が、人生の全体を覆っているのです。
 イエス様も山上の説教で言われました。「幸いだ!」。「心の貧しい人々は、幸いである…。悲しむ人々は、幸いである…。義のために迫害される人々は、幸いである」。
どんな状況にあっても、気づけるのです。
 もし、あなたが苦難の中にあるなら、何かに悲しんでいるなら、「幸いだ!」と主は言われます。慰めを知る時となり、主の御業を知る時となるからです。だからパウロは、いま獄中から、人々を祝福して締めくくることができるのです。
 
 

誇る者は主を誇れ

説教要旨(10月3日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙二 10:12-18
牧師 藤盛勇紀

 パウロの伝道によって礎が築かれたコリント教会の様々な問題の背後には、偽教師たちの存在がありました。そうした教師たちについてパウロはこう言います。「わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです」。それに対して「わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇る」と言います。
 ここでまた「誇り」のことが取り上げられますが、「限度を超えては誇らず」「他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません」と、繰り返し「限度を超えない」と言います。「限度を超えては誇らない」とは、どういうことでしょうか?人の目や評価を気にして限度を弁えるということなのか。誇るにしても人の気分を害さない程度にしておくということなのか。そうではありません。人からどう思われ、どう評価されるかで限度を測るわけではありません。ではどんな限度なのか?
 パウロはここで「限度」「範囲内」「あなた方を越えた所」「他の人の領域(尺度)」といった言葉を繰り返します。《限度を弁える》ことが重要なテーマになっています。「誇る」こととの関係で、どんな限度や尺度があるのでしょうか。もし、ひと言で言うとすれば、《いつでも自分を主との関係で見ている》ことだと言ってよいでしょう。
 パウロは敵対者たちのことを「自己推薦」する人々だと言います。私にはこういう能力があり、こういう知識や経験がある。それについては他者からの評価もある。実際「推薦状」も持っている。だから私にはこういう可能性がある。そのように、自分の「売り」はこれだ、というものを持っていて、第三者からの客観的な高評価も付けられている人です。そうしたものを持っていること自体悪いことではありませんが、それを「売り」に生きるならば、常に他者からの評価を必要とします。自分を売り、人に買ってもらわないと先に進めない、生きられないのです。
 それに対してパウロは、人からの評価で自分の価値を確かめるような生き方をキリストの下で完全に捨てました。それまでは有利だと思っていたものの全ては、「糞土」だと分かり、「塵芥と見なす」と言いました。だから「評価し合い、比較し合う」というのは「愚かなこと」だというのです。
 自分が何者でありどんな価値があるのか、そしてどんな可能性があるのか、実際自分は何をなしてきたのか。そこには、人と比べながらの評価など一切入り込む余地はないのです。なぜならパウロは、キリストに捕らえられてから、自分の一切が神に買い取られて主のものとされていることを知ったからです。《主のものである私》こそが真実な私。《他人の目に写る私》とか《他者の評価の中にある私》は、実は私ではない。
 以前にも「推薦状」のことが取り上げられていましたが、そこでパウロは「あなた方が私の推薦状」だと言いました。パウロの働きや実績は、人からの評価など無くても、あなた方の存在が証ししている、あなた方がキリストに捕らえられ、神の命を与えられ、恵みによって生きる者とされたではないか。私の主が私を用いて働いてくださっていることの証しだと。だから、「誇る者は主を誇れ」と言うのです。
 あなたの造り主にして命の付与者であられる《あなたの主》を誇りとして生きるのでなければ、いつか失われる自分の何かを誇るか、人の評価や推薦状や成績表を誇って、それを売りに生きるしかありません。それは愚かなこと、空しいことではないか。私たちを贖い取って、生かし用いておられる主を見よ、このお方を誇ることこそ真に誇りを持って生きることだと言うのです。

説教一覧(2018年度)

2018.4.1
死の涙の終わり
2018.4.8
見ゆる希望は希望にあらず
2018.4.15
キリストが充ち満ちる
2018.4.22
天に座す我ら
2018.4.29
神の恵みは現れる
2018.5.6
遺残は遠く、今は近い
2018.5.13
神を神として賛美する
2018.5.20
新しい人間の創造
2018.5.27
我らは神の住まい
2018.6.3
知らされた計画
2018.6.10
計り知れない富
2018.6.17
罪人を招くイエス
2018.6.24
とれない弾丸
2018.7.1
大胆に神に近づく
2018.7.8
御言葉を行う
2018.7.15
主の愛を味わう
2018.7.22
主は一人
2018.7.29
一人ひとりへの賜物
2018.8.5
成熟した人とされる
2018.8.12
新しい人を着る
2018.8.19
恵みが響き合う
2018.8.26
勝ち戦
2018.9.2
神の愛に留まる
2018.9.9
尊い神の秩序
2018.9.16
あなたは光の子
2018.9.23
霊による賛歌
2018.9.30
キリストが愛された教会
2018.10.7
結婚のミステリー
2018.10.14
裏切り者をも
2018.10.21
神の親心
2018.10.28
地上に敵無し
2018.11.4
神の国を前方に見て
2018.11.11
ここから見れば
2018.11.18
私たちの主、イエス
2018.11.25
あなた方の間に主の平和
2018.12.2
神の武具をまとう
2018.12.9
絶えず祈れ
2018.12.16
獄中の光
2018.12.23
見よ、救いのしるしを
2018.12.30
主である私が語り、行う
2019.1.6
朽ちない愛の恵み
2019.1.13
ひとつの福音
2019.1.20
我、ここに立つ
2019.1.27
あなた方もここにいる
2019.2.3
はるかな距離を超えて
2019.2.10
体に必要なもの
2019.2.17
福音は神の力
2019.2.24
福音を恥じず
2019.3.3
人間の不義と神の愛
2019.3.10
自由という転落
2019.3.17
終わりから今を見る
2019.3.24
お別れの挨拶
2019.3.31
波打つ大地に立つ