ホーム | 説教 | 説教(2018年度) | ひとつの福音

今週の説教

ひとつの福音

説教要旨(1月13日 朝礼拝より)
ガラテヤの信徒への手紙 1:6-12
牧師 山下瑞音

 今日の聖書個所の8節でパウロは「呪われろ」という言葉を使っています。この言葉は、私たちにはショッキングな言葉ですが、一方で、ハウロがいかに福音に対して、私たちの救いに対して真剣なのかが分かる言葉です。
 パウロが真剣なのは、私たちの信じている福音が本物の福音なのかそうではないのかということが、私たちの命に関わる問題だからです。私たちが恵みに満ちた幸せな人生を生きることが出来るのか、その先で永遠の命を頂くことが出来るのか。私たちが神様に約束されていることは、すべて私たちの信じている福音に掛かっています。もし、私たちの信じている福音が真っ赤な偽物であるならば、私たちはただここで時間を無駄にしているということになってしまいます。一生懸命神様を信じてきたけれども、全部ただのインチキだったということになってしまうのです。
 ですから、パウロの望みはただ一つ、正しい福音が教会の中で伝えられてゆくということです。だからパウロは11節で福音は人によるのではなく、神に夜のだと言っています。私たちの福音、私たちが信じている教えは、誰かが造ったものではなくて、神様から直接教わったものなのだということ。そしてイエス様が私たちのことを知っていてくださっていて、私たちもイエス様のことを知ってゆく中で、私たちがイエス様と心が通うことで初めて分かるようになる福音、これが私たちに与えられているイエス・キリストによる福音なのです。そしてこの福音だけが、私たちを救ことが出来る、本当の幸せにつながっているのだと、パウロは言うのです。
 なぜなら、イエス様の福音は、私たち全体を救う力があるからです。イエス様が私たちのことをすべてご存知でいてくださって、そして私たちに必要なものをすべて与えてくださるということ、これが私たちの信じている福音なのである。ですから、私たちにはこの本当の福音さえあれば心配いりません。いくらお金がなくても、病気でずっと臥せっていても、私たちが幸せになることと豊かさや健康はほとんど関係がないのです。私たちはつい「お金があればもっと幸せになれるのに」という風に思ってしまうことがあります。しかし、お金があって不幸だったらもうどうしようもありません。お金がなくて不幸ならお金があれば解決できても、でもお金があって不幸ならもう解決の手段がないのです。人は豊かさでは幸せにはなれません。社会がどれだけ便利になっても、生活が豊かになっても、人間は幸せにはなれない。しかし、私たちクリスチャンには福音があります。それも本当の福音、イエス様が弟子たちに教え、弟子たちが教会で伝えてきた福音を、私たちは信じているのです。時代が大きな転換期を迎えて、いろんなことが変わっていったとしても、決して変わらない福音を私たちはすでに持っています。そしてこの福音こそが、人間に本当の幸せをもたらし、救うことが出来る唯一のものに他なりません。
 パウロの時代も、この富士見町教会が建てられた130年前も、そして平成の終わる現代も、人間に本当に必要なものは変わりません。それは、豊かさでも便利さでもなく、本当の福音、つまり私たちにはイエス様がおられるということなのです。この福音があれば、私たちはどこに行ってもどんな時代を生きることになっても、心配はいりません。私たちは安心して日々の生活を歩んでゆくことが出来ます。たった一つの本物の福音を知っているということ、私たちの幸福の源をすでに手に入れているということを喜びながら、新しい年、新しく始まる時代を神様とともに歩んでまいりましょう。
 

誇る者は主を誇れ

説教要旨(10月3日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙二 10:12-18
牧師 藤盛勇紀

 パウロの伝道によって礎が築かれたコリント教会の様々な問題の背後には、偽教師たちの存在がありました。そうした教師たちについてパウロはこう言います。「わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです」。それに対して「わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇る」と言います。
 ここでまた「誇り」のことが取り上げられますが、「限度を超えては誇らず」「他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません」と、繰り返し「限度を超えない」と言います。「限度を超えては誇らない」とは、どういうことでしょうか?人の目や評価を気にして限度を弁えるということなのか。誇るにしても人の気分を害さない程度にしておくということなのか。そうではありません。人からどう思われ、どう評価されるかで限度を測るわけではありません。ではどんな限度なのか?
 パウロはここで「限度」「範囲内」「あなた方を越えた所」「他の人の領域(尺度)」といった言葉を繰り返します。《限度を弁える》ことが重要なテーマになっています。「誇る」こととの関係で、どんな限度や尺度があるのでしょうか。もし、ひと言で言うとすれば、《いつでも自分を主との関係で見ている》ことだと言ってよいでしょう。
 パウロは敵対者たちのことを「自己推薦」する人々だと言います。私にはこういう能力があり、こういう知識や経験がある。それについては他者からの評価もある。実際「推薦状」も持っている。だから私にはこういう可能性がある。そのように、自分の「売り」はこれだ、というものを持っていて、第三者からの客観的な高評価も付けられている人です。そうしたものを持っていること自体悪いことではありませんが、それを「売り」に生きるならば、常に他者からの評価を必要とします。自分を売り、人に買ってもらわないと先に進めない、生きられないのです。
 それに対してパウロは、人からの評価で自分の価値を確かめるような生き方をキリストの下で完全に捨てました。それまでは有利だと思っていたものの全ては、「糞土」だと分かり、「塵芥と見なす」と言いました。だから「評価し合い、比較し合う」というのは「愚かなこと」だというのです。
 自分が何者でありどんな価値があるのか、そしてどんな可能性があるのか、実際自分は何をなしてきたのか。そこには、人と比べながらの評価など一切入り込む余地はないのです。なぜならパウロは、キリストに捕らえられてから、自分の一切が神に買い取られて主のものとされていることを知ったからです。《主のものである私》こそが真実な私。《他人の目に写る私》とか《他者の評価の中にある私》は、実は私ではない。
 以前にも「推薦状」のことが取り上げられていましたが、そこでパウロは「あなた方が私の推薦状」だと言いました。パウロの働きや実績は、人からの評価など無くても、あなた方の存在が証ししている、あなた方がキリストに捕らえられ、神の命を与えられ、恵みによって生きる者とされたではないか。私の主が私を用いて働いてくださっていることの証しだと。だから、「誇る者は主を誇れ」と言うのです。
 あなたの造り主にして命の付与者であられる《あなたの主》を誇りとして生きるのでなければ、いつか失われる自分の何かを誇るか、人の評価や推薦状や成績表を誇って、それを売りに生きるしかありません。それは愚かなこと、空しいことではないか。私たちを贖い取って、生かし用いておられる主を見よ、このお方を誇ることこそ真に誇りを持って生きることだと言うのです。

説教一覧(2018年度)

2018.4.1
死の涙の終わり
2018.4.8
見ゆる希望は希望にあらず
2018.4.15
キリストが充ち満ちる
2018.4.22
天に座す我ら
2018.4.29
神の恵みは現れる
2018.5.6
遺残は遠く、今は近い
2018.5.13
神を神として賛美する
2018.5.20
新しい人間の創造
2018.5.27
我らは神の住まい
2018.6.3
知らされた計画
2018.6.10
計り知れない富
2018.6.17
罪人を招くイエス
2018.6.24
とれない弾丸
2018.7.1
大胆に神に近づく
2018.7.8
御言葉を行う
2018.7.15
主の愛を味わう
2018.7.22
主は一人
2018.7.29
一人ひとりへの賜物
2018.8.5
成熟した人とされる
2018.8.12
新しい人を着る
2018.8.19
恵みが響き合う
2018.8.26
勝ち戦
2018.9.2
神の愛に留まる
2018.9.9
尊い神の秩序
2018.9.16
あなたは光の子
2018.9.23
霊による賛歌
2018.9.30
キリストが愛された教会
2018.10.7
結婚のミステリー
2018.10.14
裏切り者をも
2018.10.21
神の親心
2018.10.28
地上に敵無し
2018.11.4
神の国を前方に見て
2018.11.11
ここから見れば
2018.11.18
私たちの主、イエス
2018.11.25
あなた方の間に主の平和
2018.12.2
神の武具をまとう
2018.12.9
絶えず祈れ
2018.12.16
獄中の光
2018.12.23
見よ、救いのしるしを
2018.12.30
主である私が語り、行う
2019.1.6
朽ちない愛の恵み
2019.1.13
ひとつの福音
2019.1.20
我、ここに立つ
2019.1.27
あなた方もここにいる
2019.2.3
はるかな距離を超えて
2019.2.10
体に必要なもの
2019.2.17
福音は神の力
2019.2.24
福音を恥じず
2019.3.3
人間の不義と神の愛
2019.3.10
自由という転落
2019.3.17
終わりから今を見る
2019.3.24
お別れの挨拶
2019.3.31
波打つ大地に立つ